princeton.log

Princeton 大学の Department of Computer Science に一年留学する日本人が、学んだことや感じたことを綴ります。

さよならプリンストン

前回、「プリンストンに残るつもりだ」という旨を最後に書かせていただきました。ところがそのあと状況が変わり、僕は今日本の実家にいます。
今日は、日本に帰ることになった経緯も含めて、ここ1週間の大学の動きについて書いていきます。

3/11

キャンパスのお祭り騒ぎ

この日は、キャンパスの事実上の閉鎖が通達された日です。突然残り少しになってしまったキャンパスで友人と過ごせる時間を最大限楽しむためか、この日はそこかしこでお祭り騒ぎが見られました。
例えば、僕が自室でこれからどうするか思案しているとき、何発か花火が上がりました。
f:id:liwii:20200320182110j:plain 花火ってそんなに簡単に調達できるものなんですかね・・・スピードに感心してしまいます。
また、大勢の人が一箇所に集まってただ叫ぶという謎のイベントも開催されていました。

暗くて誰がいるかもわからない中で大声がただ響き渡るのは非日常感があってなかなか楽しかったです。
他にも、寮のそこらじゅうの部屋から大音量の音楽と話し声が聞こえてきました。ウィルスの感染リスクを考えるとあまり奨励されない行為ではあると思うのですが、この日が最後になってしまう子もある程度いることを考えると、大目に見てほしいなあというのが個人的な意見ですね。

ヨーロッパからの入国制限

キャンパスで起きたことではないのですが、この日にはヨーロッパ諸国からアメリカへの渡航制限も発表されました。

www.bbc.com

これに伴って、CDC (米国疾病予防センター) もヨーロッパのほぼ全ての国々への渡航警戒レベルを3に引き上げました(この時、日本の警戒レベルは2です)。出身地域を理由にキャンパスに残る申請をする際には、CDCの警戒レベル2または3が必要とされていたので、これでキャンパスに残る申請ができる人の数が一気に増えることになりました。

3/12

Take-home midterm

この週は春休みの1週前。本来、中間試験などがたくさん予定されていました。僕も例外ではなく、この日に1つ Take-home midterm (自分の部屋でやる中間試験) が予定されていました。
友達に聞いた感じだと、延期された試験もあるようなのですが、この授業では特にそういうアナウンスはありませんでした。正直精神的には試験どころではなかったのですが、こうなってくると受けざるを得ません。
実際、問題を解いている最中もちょっとソワソワしてしまいました。割と簡単に作ってくれていたようなので良かったのですが、もうちょっと難しかったらどうなっていたことやら・・・

去る人々

この日から早くも自宅に帰っていく人がちらほら見られるようになりました。
こちらは Storage サービスに並んでいる人の写真です。
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荷物を来学期まで預かってくれるそうで、来学期もキャンパスに戻ってくる人々によって長蛇の列ができていました。
また、学生を迎えにきた家族の車もたくさん停まっていました。 f:id:liwii:20200320181317j:plain こうしたものを見て、人がキャンパスからいなくなっていくのを実感し、寂しくなったのを覚えています。

Poe Field

プリンストンのキャンパスの南端には Poe Field と呼ばれるグラウンドがあります。この日は、Poe Field でパーティーが行われるという噂が耳に入ってきました。Eating Club などのパーティーができそうな建物は全て閉鎖されていたので、そのかわりに屋外でパーティーを開こうというわけです。
のぞいてみると、小雨が降っているにも関わらずたくさんの人がやってきて踊っていました。

真ん中に置いてあった結構しっかりしたスピーカーから、結構しっかりした音楽が流れていました。どこから持ってきたんだ・・・
一応学校側としては50人以上の集会を禁止していたので、最終的に PSAFE (学校の警備をしている人々) がやってきてパーティーはおひらきになりました。

まあ学校の対応はもっともですね。正直、屋外とはいえ100人ほどが密集している場所に突っ込むと色々なリスクが伴うので、僕も軽率な行動だったなあと少し反省しています。

3/13

えっ、残れない?

僕は3/11の時点でキャンパスに残るための申請をしていたのですが、この日にこんなメールが届いてしまいました。
f:id:liwii:20200320182152p:plain 要は「非常事態なので残るための条件をめっちゃ厳しくしました。あなたは条件を満たしてません。ごめんね。3/19までにキャンパスから出てください。」ということです。
僕が申請をした時点では、CDC 警戒レベル2の日本から来ていればキャンパスに残る要件を満たしていることになっていたので、このメールにはすごく驚きました。しかし、周りの友人にも聞いてみたところ、韓国や中国から来ている人も同じようなメールが届いていました。大学側がヨーロッパの状況を重くみて、比較的事態が深刻でないアジア諸国からの学生には帰宅要請をすることにしたのでしょう。こうなってくると日本に帰らざるをえません。
そもそも、このメールを受け取る以前から、僕は帰国した方がいいのではないかと薄々感じていました。この時点でニューヨーク・ニュージャージー両州の新型コロナウィルス感染者は増え続けており、またプリンストンの職員2人に陽性反応が出るなど、キャンパスも感染リスクがないとはいえない状態になっていました。もしプリンストンで罹患して万万が一重症した場合、僕は仕組みがよくわかっていない上に世界的に評判のよろしくないアメリカの医療機関にお世話になることになります。ちょっとそれは避けたいなあというのが正直なところでした。
と、いうわけで両親とも相談の上3/17発の日本行きのチケットを確保。日本に帰ることを決定しました。

3/14

Dining Hall の(ほぼ)閉鎖

この前の日から、5つあった学部生用の Dining Hall は 1つを除いて全て閉鎖されていたのですが、この日からそこでも Dining Hall に残って飲食をすることが禁止になりました。学生は各自ご飯をよそってもらって、自分の部屋に戻って食べろというわけです。
キャンパスに残っている人が少なくなっていたとはいえ、食事の提供元が1箇所に集約されたため、Dining Hall にもある程度人が集まっていました。
f:id:liwii:20200320181237j:plain 持って帰れる食事はこんな感じです。
f:id:liwii:20200320181339j:plain 帰国の日まで4日間、このような食生活が続きました。料理自体は普段提供されているものとそこまで変わらないのですが、1つの Dining Hall しか選択肢がないのが災いし、料理のバリエーションが極端に少なかったです。毎日同じようなものを食べ続けたため、最終日には結構つらくなってしまいました。

建物の封鎖

また、キャンパス内にはテープを使って封鎖されている施設がいくつかありました。
f:id:liwii:20200320181243j:plain f:id:liwii:20200320181324j:plain 大学側の正確な意図は正直わからなかったのですが、1枚目の写真に写っている Whitman では消毒剤的なものが撒かれていたりして、なにやら不穏な空気を感じましたね・・・

やっぱり残れる?

この日の夜には、こんなメールが届きました。 f:id:liwii:20200320182208p:plain 要するに「キャンパスに残っていいよ!」っていうことです。しかし、これは前日に受け取ったものと正反対の内容である上にそのことについての言及が一切なく、僕は初めてみたとき相当困惑しました。メールで説明を求めると、「再検討の結果OKになった。行ったり来たりで申し訳ないけど、不確定要素が多い状況なので大目にみてほしい。でも、自宅に帰れるのであれば帰ることをおすすめする。」という返信が帰ってきました。
かくして、僕はキャンパスに残ろうと思えば残れる状態になったわけですが、1度した「帰る」という決断を覆す気にはなかなかなれませんでした。前述のように、個人的にも帰った方がいいのではないかと思っていたこと、また学校側も帰ることを推奨していることも相まって、結局当初の帰国するという結論は揺るぎませんでした。

3/16

人のいないキャンパス

このころになると、キャンパスにいる人の数はグッと減っていました。 f:id:liwii:20200320181306j:plain f:id:liwii:20200320181345j:plain 聞いたところによると、結局キャンパスに残るのは約500人、その多くが卒論のために残らなくてはいけない4年生ということです。実際、最初はキャンパスに残ると話していた友達も、多くは結局帰宅していたように思います。

部屋の片付け

さて、僕はこの前日までパッキングを始める気がなかなか起きず、宿題(急を要さない)をやったり、お世話になっていた人に挨拶に行ったりして時間を使っていました。その結果、出発の前日であるこの日になっても1つも出発の準備ができていませんでした。流石にこれではまずいので、重い腰をあげて出発の準備をはじめました。
とはいえ、部屋の中にある処分に困るものは冷蔵庫くらいです。OIP (Office of International Programs) という、交換留学生のお世話をしてくれる部署がいらないものの寄付を受け付けてるということだったので、そこまで冷蔵庫を運ぶことにしました。
U-Store (生協みたいなところ) で運搬用の台車を借りることができたので、それに冷蔵庫をのせ、 f:id:liwii:20200320181255j:plain OIPまで持って行きました。 f:id:liwii:20200320181225j:plain 次の交換留学生が有効活用してくれるといいなあと思います。
このように、冷蔵庫は無事処理できたのですが、結局この日はそれに満足してしまいあまりパッキングが進みませんでした・・・

3/17

パッキング

前日までにほとんどパッキングができていなかったので、出発日であるこの日は早起きしてひたすら荷物を詰めることになりました。
最終的に、このように乱れたものが f:id:liwii:20200320181152j:plain この真ん中にある2つのスーツケースに収まりました。 f:id:liwii:20200320181332j:plain ちらほらものが残っているのですが、それは荷物に入りきらなかったので部屋に残して捨ててもらうことにします。「部屋にものを残して帰ると罰金を取られるかも」と友達に言われましたが、終わらなかったものは仕方ありません。

空港へ

その後、何ヶ月も一緒に過ごした交換留学生のみんなと最後の朝食をとり、ニューヨークにあるジョン・F・ケネディ国際空港に向かいました。東大からのもう一人の交換留学生が個人的なツテを使って空港への車を手配してくれたので、それに乗って空港まで直接向かうことができました。感謝です。
ANA便が発着するターミナルは割と小さかったのですが、それを差し引いても空港にいる人はかなり少ないような印象を受けました。
f:id:liwii:20200320181411j:plain f:id:liwii:20200320181422j:plain 飛行機もかなり空いており、例えば僕の席の横にあった3席はなんと全て空席でした。おかげで足を伸ばして寝ることができました・・・

帰国

そして14時間後。ついに半年ぶりに日本に帰ってきました。
f:id:liwii:20200320181402j:plain 久しぶりの日本はどこか不思議な感じがしました。どこに行っても日本語で不自由なくコミュニケーションを取れることに安心感を覚えつつ、思ったより早く帰ってきてしまったことを実感させられ、どこか寂しい気持ちもしました。

と、いうわけで、僕は日本に帰ってきました。帰ってきてしまいました。ここまでも書いたように、僕は割と人の集まるところに行ってしまっているので、ウイルスをもらってしまっていう可能性がゼロとは言い切れない気がします。そのため、2週間くらいは自宅で大人しくしていようと思います。
なんどもいうように、正直こういう形で帰国になってしまったことはすごく寂しいです。しかし、オンライン授業という形で僕の「留学」はまだまだ続きます。この経験をバネに、残り少ない授業から少しでも多くのものを学びたいと思います。
このブログも、授業が続いている間は更新を続けて行きたいと思っています。(毎週書くことがあるかはわかりませんが・・・)。オンラインという形ではありますが、授業の雰囲気などを伝えていけるように頑張りたいと思います。それではまた次回。